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私が組織を抜けるまで

仕事をやめようと思ったきっかけ。

簡単に自分のプロフィールを紹介します。

私は愛知県でずっと育ちました。高校生で自分の進路を決めれるほど、思考は成熟していなかったし、自身の親や兄、周りの大勢の人が大学への進学を選択するなかで、そのレールから外れる勇気も、その必要もなかったので、大学への進学を決めました。

義務教育からの高校、大学という流れを「不自由なレール」とも思っていませんでしたし、なにより大学まで通えることが、当たり前の選択肢にあるレールのありがたみもわかっていませんでした。

 

 いざ大学選びとなった際に、なりたい夢とかもなかったので、自分は文系だし、まあ経済学部、経営学部とかに行くのかな?なんて考えていました。

ただ、その学部で、何を専門的に学んで何になれるのか!?を想像することができませんでした。

 自分の足りない知識の中で経済学部、経営学部に行くといわゆる「サラリーマン」と呼ばれる人になって、スーツ着て、満員電車に揺られる毎日を送るんだろーなー。」と考えて、いやいや、せっかく4年間、なにかを学ぶなら、専門性が高い大学にしよう‼︎そして、スーツ着てサラリーマンはやめよう‼︎と決めました。

対人援助や人とコミュニケーションを取ることが好きだったので、福祉という分野は自分に向いてるかもなー。と思い、日本福祉大学へと入学しました。

 そして大学生活を終えて春日井市の社会福祉法人に就職することができました。最初は高齢者が入所する施設「特別養護老人ホーム」の現場介護職員として、社会人生活をスタートさせました。

誰でも仕事を始めればぶち当たる壁かとは思いますが、思い描いていた理想や、想いとギャップが激しい世界でした。

特別養護老人ホームは、高齢から来る身体機能、認知機能の低下により在宅生活が送れなくなった人。家庭環境などにより、家族の支援が受けれず在宅での生活が送れない人などが、ホームを住居とし、そこで生活をする、言わばその人にとっての家となる場所です。

そんな現場で感じたのは「生活を支える」という、この仕事はある意味では究極のサービス業、接客業だと感じました。起きる時間、食べるもの、着るものあらゆる生活の場面において、人にはこだわりや、要望があります。それを聞いて解消していく。これはまさに、究極だなと分かりました。

まあ、そもそも無理がある。笑

なぜなら、まずサービスを受けたいと思ってきている人が少ない。認知症状のせいで、なぜここにいるのかが、理解ができず落ちつかないかた。そもそも、家にいたかったのに家族の要望もあり、やむを得なく入られるかた。スタートの時点で気持ちはマイナスな方向に向いてしまっている人がほとんどです。

さらに施設は集団生活の場であります。ユニットケア、個別支援と叫ばれてはいますが、現実は限界があります。

起床の時間がある程度決まっていて、入浴の日が決まっていて、寝る時間が決まっている。介護士さんは、利用者者さんを複数名見ているため、誰かに時間を割けば、誰かにシワが寄ってしまう。

そして、職員の考えかたも擦り合わせることはとても難しい。

例えば、認知症がありそわそわと落ちつかない利用者さんがいるとします。その人の話しをゆっくりと傾聴し、なだめて、笑顔を引き出す。活字にすればとても綺麗な事実で、介護職をこころざす人の介護士の理想像として思い描いてる人もいるかと思います。

しかし、内実はどうか?その人に時間を割いてしまうが故に、トイレに間に合わず失禁をしてしまう利用者さんがいたり、行う事とされている、シーツ交換や掃除が、間に合わず行われていない現状があるとします。

果たしてその職員さんの行動は正解だったのでしょうか?

突き詰めると正解、不正解ではなく、なにを優先事項として、選んだかの違いであり、結果論だと思います。

 もちろん、業務をまわす事に重きを置きすぎる人は、行動から声かけから作業的になり、効率化を優先してしまうが故に、利用者さんの行動を抑制したり、適当にあしらったり、ご飯を食べる30分も前から食事用のエプロンをつけられていたり。(これ、機械的に業務をまわす人のあるあるな気が)

ただ、そうしてしまう理由はありました。

すべてはいつ起こるか分からないイレギュラーに対応するために起きてしまっている事も理解できなくはないんです。

認知症の方が落ちつかなくなり、問題行動を起こすことを「不穏」と呼びます。

不穏になり、歩けない利用者のかたが歩こうとしてしまい、時には転倒、骨折、そして程度によっては命の危険も伴います。

失禁や失便をしてしまい、処理に時間がとられるトラブルもあります。しかし、利用者のかたには、そうした都合は関係ありません。コールボタンで呼ばれたり、コールボタンが理解できない人は「おーい」と大きな声をあげたり、する人もいます。誰かが落ちつかなくなると連鎖的に落ちつかなくなるのも、施設のあるあるです。

すべての人が認知症を有しているわけではありません。身体的に不自由なだけで頭がクリアな人もいます。「うるさいわね‼︎」と認知症状のあるかたを叱責する人もいらっしゃいます。

活字にするだけでも、想像できる大変さ。これを1人の介護士が10人の利用者のかたと繰り広げ、夜勤ともなると1人で20人の人を見ます。

思わず「もうなんなんだ‼︎︎」となってしまう気持ち。業務を効率よく回す方向に傾いてしまう気持ち。容認することはできませんが、気持ちを推し量れないわけではありません。

また、介護士と呼ばれる仕事は有資格者でなければできないかと言うとそんな事はありません。いわゆる、無資格で福祉系の学校に行ってない人でも働けます。意外と皆さんが知らない事実ですよね。

分野として、はっきりと分かれてる仕事なので、私の中では、ある程度、働く人の気持ちや志は同じだと思っていました。

しかし、現実はそう甘くはない。

仕事をするという、一点においても、なんのために、何に重きを置いているかは違います。そこで働いているという結果のみは一緒です。

自分自身、「あーもう‼︎︎」という感情にとらわれそうな時には、とにかくこの感情を封印し、丁寧な対応を心がけなければという気持ちを奮い立たせました。

自分の中ではそうした際に、頭の中で響かせてた言葉は、自分の専門性はこうした人たちとの関わりの中で給料をもらい、仕事をして、生活しているんだぞ!という事実でした。それがプライドであり専門職だと思っていました。

しかし、大多数の人はおかまいなしでした。そりゃ我慢しなくても、給料はでますし、なにより良くないのは入居者様は認知症状があり、短期記憶もなければ言葉を発っせない人もいます。家族のかたが常に側で見ているわけではないので、閉鎖的な空間になりがちです。

私が新人の頃には、主任介護士と組んだ際と、私と組んだ際とで態度が違う介護士のかたも大勢いました。

そうした中で考えの合わない介護士さんに対して、ストレスを溜めて、時にはぶつかり、まだ若かった自分は、自分の正義の元に、他の職員の行動を抑制しようとしました。今思えば、もっと違うアプローチがあったなあ。と反省しています。

そうした中で介護をしながら、役職もついて、部下も増えてどうしたらもっと職員の意識を変えれるだろうか?と悩んだ際に、精神論だけでは難しいのは分かっていました。

なので違う角度から話しをしようと思い、自分たちのサービスがいったいどれほどの料金を頂いて成り立ってるのかを理解してもらえば、少し考え方が変わる人もでるかもしれない!と思い、細かい内訳までは自分も知らなかったので、請求業務をしている生活相談員(施設の入所手続きなどをする窓口)の方や上司に話しを聞こうとすると、自分でも予想だにしない壁にぶち当たりました。

人は自身の領域を侵される事を嫌うのか、私が他の職域に口を挟もうとしていると防御網を張られてしまい、さらには、介護士には関係ないから知る必要はない‼︎と職種で人を判断する上司もいました。余計な知恵をつけて、その情報をどう扱うのかにリスクを感じたようです。

自分自身、間違いなくこの結果は予想しておらず、逆に今までにない視点だと賛同されるとさえ思っていたので、大きく落胆しました。

私たちは、金銭の感覚はある程度揃っています。自販機のペットボトルが150円なら普通。100円は安い。300円は高い。というように。なので、わかりやすい指標で、意識を高めてほしかったのですが、敢えなく挫折。

その時に数字を扱っている経営側の、現場の人を下に見ている目線。どうしようもない小さなマウントの取り合いを繰り返すさまに、反骨心の火がつき、それならば現場を経験したうえで、数字の世界に飛び込んでやるよ。とギラギラに意気込み、生活相談員という施設の利用を希望する人の窓口になる業務に移りました。

そもそも、小さな職場のマウントの取り合いに辟易としていたはずなのに、矛盾はしますが、結果を出して黙らせてやる‼︎という方向に走り出す事になります。

この続きは相談員編へ。笑