先日、私は母の日に祖母に花と花を見に行く外出をプレゼントしました。その時の話しになります🙃
私の祖母は認知症状があります。
私の事は、顔を見ても、孫だと、はっきりとは分かってはいません。
うっすらと、知っているような。という感覚だと思います。
訪問して、おばあちゃんの孫だよ‼️というと
〇〇だったね。ごめんごめん。と、私の兄の名前を言います😅笑
初孫のが記憶に残るんだよね🙂
93歳と96歳の祖父母は2人で毎日の生活を維持する事が日々の最大の目的です。介護保険のサービスは受けてません。2人だけの力で生活しています。
そんな状態の祖母を母が通院のために、外に連れ出すと、その日はいつもと生活のリズムが違うため、そわそわ。堤防の水が溢れるかのように、不安が押し寄せているように見えます。
あれ?どこに行くんだっけ⁉️
そっかそっか病院か。の繰り返し。
娘が来てくれたから、病院とかより、何かしてあげなきゃ‼️が勝つので買い物してお寿司を買おう‼️
と繰り返します。
そして、買い物をして、お寿司を買い、家に戻るまでの道中で「あれ?なんか買い物していかないと‼️」と買い物をした事もすぐに忘れてしまうくらいの状態です。
これだけ聞くと、生活がしっかり出きているのかと、疑問をもちますが、いつも通りの毎日であれば、自身で買い物にいき(広告を見て安いものを買うメモをしてるので、キャベツだけは余らせてしまいがち😂)
料理もします‼️部屋の掃除もして、洗濯もこなします。
そして、自身が忘れっぽくなってる事も自覚しているので、私はすこしボケてきたから。とも言います。
けれど、「おじいさんが足が悪いから、私がしっかりしないといけないから‼️おばあちゃん、まだ頑張れてるでしょ⁉️93歳だよ。大丈夫でしょ❓割に元気にしてるほうでしょ❓」と、何度も確認してきます。
不安と葛藤の中で自分を鼓舞して頑張っています。
なので、日々を一生懸命に過ごしているだけでも凄い事なのに、病院の通院や、いきなりの孫の訪問、ましてや、母の日だから外に行こう‼️と言われても、本人からすると❓が一杯なんですね😅
母の日だから、花を買いに行って、買い物していこう。と声をかけるも、いつも買い物にいくスーパーの花屋しか知らないので、車の行き先が違うだけで不安いっぱい🥲
どこ行くんだった❓
スーパー行くならこっちじゃないよ‼️
なんだ、なにしに行くんだっけ❓
マスクはなんでしないかんの❓
と、ソワソワ。表情は固い。
ここまで活字にすると、孫のエゴに付き合わされて、不安な気持ちにさせられてるだけですよね😣
そして祖母が、私に稲妻が走るくらいの一言を。
なんだ、よく分からない。。
夢をみてるみたいだね・・・。
と言いました。
核心をつく、本音の一言。
何がなんだかわからない、夢のようだという一言は、まさに認知症状を有する人の本音であり、心からの言葉だと感じました😭
なので、意識として持たなければいけないのは、祖母の世界にお邪魔する。させて頂くという感覚なんだと思います。
とはいえ、わたしも専門職なので、ここまでの不安は折り込み済みです。何かをしようと思えば、これはつきものです。
その不安を受けてなお、ゆっくり気持ちを吐き出してもらいながら、少しずつ表情を柔らかくしていけるように、声かけしていきます😌
祖母は花が好きなのも知ってるので、花屋につき、自身で花を選ぶ頃には、少し表情も良くなり、大きい花屋を見て
せっかくだから、見てまわろう😊
と、言うまでに😌会計の時にはレジの人たちに
こうして花をね、見せてもらって、連れてきてもらったの😊と笑顔。
そして、花を買い、家に戻ると、花を一旦、浴室に置く祖母😌
お昼を食べて、さっきの花を花瓶に入れようという頃には、花を買った事は忘れて、浴室に置いてある花を見て、今日1番の歓声😂
あら😳😳😳綺麗な花がある😳
だって、自分で選んだやつだからね😂
たとえ、忘れたとしても、その時、その場面の感情。気持ちは嘘偽りはないので、無駄な事だとは私は思いません。
本人が嫌がるし。
出ても忘れちゃうから。
ではなく、それもひっくるめて、笑顔になってもらうためには、必要な過程なのかなと思います🙂
最初は嫌がったり、いつも通りで良いのに。となりつつも、最後は楽しんで、忘れてしまったとしても、それも含めて、今のその人の日常なので😌
だから、あきらめずに、その人の生活に少しでも色がつくための支援を目指して頑張りたいと思ってます。
自分が独立して頑張ってるのは、この気持ちが根底にあるんだと、再認識😇